史学者、出雲地方の恩人、関和彦先生を偲んで

島根県知事選、でばたばたしていた

ところですが.

そこへ急に

 
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我が、島根県や島根半島の

発掘者、再発見者であり

現代への出雲地方の布教者とも言える、

功労者

史学者にして教育者

関和彦先生の突然の

ご訃報。



31日の夜には、
講演や刊行物の用意をされてメールも打っておられたのですが

夜中に
くも膜下出血で

亡くなられたそうです。

島根県の出雲地方のー松江市や出雲市の皆様には

ケーブルテレビの、「うらうらを行く」

レギュラー出演で、おなじみ。

(あと、美保関と一畑薬師の収録が

残っていたそうです。)

我が「四十二浦巡り再発見研究会」、の

座長でもあります。


出雲大社教の、神式で行われた

御葬場祭には、

通夜祭と共に

多くの方々が参列されました。


古代出雲に関する

数々の先生のご著書が並び

30数年来のご友人方が

お見送りされました。

ご遺体のお顔を拝見しても

満面の笑み。


本当の人格者でした。

悪口は一切言われず

どんな人でもかばっておられました。

ーーーーーー
日本人論から出雲再発見

第二次大戦後、占領軍は

特に神話を禁止し

出雲地方、松江市では

お札もお守りも、痕跡も残さず

全部取り上げられた神社もあります。


出雲王朝もなかった、という

日本人論が喧伝されました。

おどろおどろしいものに

喧伝され、物質評論家に

出雲はなかったと言われていたのです。

(その頃、私は

日本語教師を目指し勉強していたために

その頃の日本人論には詳しいのです。

でも、出雲王朝がなかったなんてはずはない、と、京都で思ってました。)


荒神谷遺跡の発掘後、随分してから

後に

出雲王朝がなかったというのは

間違いだったと謝罪された方もあります。

しかし


全てにおいて金力も権力も注ぎ込んで

そこまでして壊したかった

日本人の精神性とは

何だったのでしょうか。


島根県では

神話は郷土の史実そのもの

郷土史家も社会の先生も

沈黙せざるを得ない戦後教育。

そんな中で

学生時代から、島根半島を歩いて

コツコツと研究を重ねられた

関先生のおかげで

ようやく

色々なことが、

70年経って

露わになろうとしてきました。

そのさなか、

まだ

70歳になったところです、先生。


関係者はみんな、先生が

亡くなられた心の穴と傷を

いかにして

埋めようかと、四苦八苦しています。

特に数十年来のお友だちや

学校、

研究者仲間の方々

42浦巡り再発見研究会の

直弟子三名の

方々の心の傷は

埋まりそうにありません。


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私も、27日にお会いしたのに!

5日に来られると言っておられたのに!

と思っています。


でも、こういうものなんだよね。

これが出雲で、日本のあり方なんだよね。

表の部分は次々と承継して、

新しくなって

それで見えない部分はずっと存在している

それを表の手がかりで、例えば出雲国風土記で、

表側では伝える

隠されていることは、出雲は

多いけどね。


「僕にだけは見せてもらえるんだよ」

と、

嬉しそうに言われていたお顔が

目に浮かびます。

先生が亡くなられて翌日、家のエレベーターのドアが

だれもいないのに

開いて閉じたのは、ご挨拶でしたでしょうか。

律儀な先生ですから。

ーーーーー
私も、移し世の、人間だけが

移りゆくのだなと近頃思います。


色々な着物や陶器や建物さえ  

山野や川、土地までも、人間より

長く存在する。


表で継承し、新しく直し整理することだけが、

大体の人間の役目

その裏に本当のことがずっと存在する。

地球も。

勝手に壊しちゃいけない。

そんな感覚を

持つようになりました。


着物365日と、日本と出雲地方のおかげです。


そしてだからこそ

清浄な、生きる環境を

責任として

子どもたちに伝えたいと思います。


今日も明日もいい日になりますように!




by mai-kitani | 2019-04-03 16:07 | まい日

あしたも元気!「きたにまい」の想い 本音の日々をつづります。


by 貴谷麻以