2015.7.19 田和山野点と、馬潟納涼祭
2015年 07月 20日
20日は
午前中は雨でしたが
午後からは心地よい
晴れ
お誘い頂いていた、
田和山の 野点に
おじゃしました。
階段を登って
考古学者の堀先生
お手製の琥珀糖
とお抹茶を頂いて
その後、下のプレハブの
資料館?
で、
田和山の歴史的
考古学的 意義や
その他のお話に
ついつい1時間。
ーーーー
田和山は、
禁足の地として
長らく言われてきました。
乃白神社の遥拝対象です。
田和山は、卑弥呼の描写そのもの
だそうです。
でも、卑弥呼や
光武帝の金印授与よりも
100年以上古く
また、現在の
出土資料としては
最古の硯が
出ています!
少なくともこの頃
には
文字がこの辺りで
使われていたのでしょう。
金印については
「金印は、昔の木簡の包みに
ロウの印のように
粘土で押すように
使われていたとのこと。
すなわち、金印を上げるというのは
文字がしっかり使われていて
国があって
自分たちのお墨付きを
上げても差し支えない
ということなんだ、」
「倭(わ)
わは、私のわ、吾 のわ
我の わ だ。
お前は何者だ、という時に
吾(わ)だ、と答えたに違いない。
そこに倭
どいう字を
当てはめたのは、
今のように
昔から日本人は
おとなしかったのでは
例えば
匈奴 匈どいう字で
表されるところとは 違う」
「孔子も、自分を雇ってくれる人が
いないから、日本に行こうか」
と言っていたほど。
DNAと文化、民族の違い
DNAと民族は違う
考え方も価値観も
言葉も後天的に身につくもの
だから
血が繋がっているから
分かり合える
というのは、間違いだ。
等々、話に花が咲きました。
個人授業を1時間
していただいたと言っても
過言ではありません。
ーーーー
それから
大急ぎで、馬潟納涼祭へ。
馬潟地区は
ホーランエンヤでは、
いの一番
の、
地区です。
5大地の中でも
くじなしで、いつも一番。
祇園祭の長刀鉾のようなもの。
相変わらず
和気藹々
しかも喧々諤々
元気な
赤ちゃんの多い!!
地区です。
楽しかった!です。
でも、介護の負担金について
大変だ!!持たない
という声を聞きました。
そうですね、
農業等第一次産業に
従事してきた方の
年金は少ない。
介護の個人負担が払えません。
子どもさんたちの話とか
いろいろありました。
(25日、馬潟地区に
舟も着岸させて頂くことに。
馬潟は午後1時頃かな。
餅撒きもします。)
今日も明日もいい日に!