中世松江のまちは、松江城以前からあったという証拠
2013年 09月 09日
一昨日は、売布(めふ)神社の棟木 を見せていただくことが
できました
色々なところで、松江は、400年前ー1600年代初めに
できたというお話を
されることが多いのですが
白潟に行くと、
1500年代には
松江城建造以前に、市も月に6回はたっているし、
小路もあるし・・・ということがわかります
また、松江城は当初は、「末次」城
と記載されていて、
明の絵地図にも有る 「白潟」には
松江 と記載されています
・・・・・・・松江のまちというのは、中世にも
すでに「まち」だったのだ、
と分かりました
古い資料がなかなか出ない訳は
時の権力者に都合の悪いほんとの資料は
みんなが隠すから、なかなか出てこない
のが理由だそうです
なるほど、
そういえば、
いままで国内に出土した以上の銅剣と銅鐸
・・・が
斐川の荒神谷で、一度に出土したのは
やはり、時の権力者に非常に都合の悪い何かが
あったのだろうな
いつでも同じだな
とか
納得していました