7月3日

178.pngフランスからのインターン
昨晩はフランスから来た、学生のアリゼが、
長女と一緒に
外中原の家に泊まりました。
  
 日本語専攻の19歳。
 浴衣とお抹茶が好き。
 日本の女子漫画も好き。

 大学の必修単位であるインターン研修を
 日本の松江でしたいと、
 大学を通じて、松江市観光協会に。

 ホームステイを 希望して
 友達の友達から、コーディネート

 私も日仏友好協会からも連絡をもらい

 彼女は1か月
 ホストファミリーを3日ごとに移りながら
 働きます・・・

    若いからできるのでしょうね・・・

 市の予定表に「フランスから市長表敬」とかって
 市の予定に入っていました。
 きっとこれアリゼのことだろうな

、と思っていたのですが

 案の定、アリゼと市長がテレビに出ていました。101.png


さて171.png  朝、10時
「社会を明るくする運動」街頭運動に参加

11時
民生委員さんや保護司、更生保護女性会のみなさんと
「駐在さん」や公民館のひとたちと。。

終了後、意見交換、情報交換

とても有意義でありました。。

171.png  16時 田和山サポートクラブの研修
田和山で。

文化財課とも
話合いを。

日本最古の硯が

出土している田和山遺跡の、保存について


もちろん、遺跡の保存状態が悪くなっているのです


古くなっただけではなく

上に乗ったりして遊ぶ

不届き者が いることの報告。

  本当に困ったものです

・・・・・
そして議会の話

また田和山サポートクラブの

多様な文化活動について。

・・・
おせっかい通訳を117.png
・・・今年一年かけて総合的に保存計画をつくるとの話。

それについて
117.png市担当者から

「実際に何人が現場に来ているか知らせて欲しい
なぜなら、どこでも 一体 何人ぐらい来訪者がいるのか」
と聞かれるから。説得するには人数の根拠が必要」

141.png「こちらは無償のボランティアでしているのに
24時間いて、人数を測ることなどできない。
ここは山だよ。
きちんと綺麗に整備してあれば、人数も又増える。
人数等関係ない」

120.png「でも具体的な人数が必要だ!」

・・・の押し問答。

119.png仕方なく通訳を買ってでました。

彼らが「人数」にこだわる風景は私にはよくわかるのです。
なぜなら、この価値観こそ私が変えようと
闘ってきたものの一つだからです。

実は、松江市には「文化事業費」はない。

なぜなら文化 というとすべからく予算が
議会で切られてきたから。
宗教に関係するひとたちも若い議員も皆、
文化と言うと

「金にならん」と言って予算を切ってきたから。

近年は「観光」ならいい、というので
文化も伝統も経済部の所管になっています。ーー変ですよね!
(私が経済委員会にまた戻って来た理由の一つです。
「活用」だけならいざ知らず
文化の価値まで観光で測れるものでしょうか)

多くの部長も課長も議員も「観光入込客」の観点からしか
文化に接触できない
  106.png「ウソでしょう?」という方々が多いと思いますが
・・・冗談のようですが
本当です!

こんな状況ですので
この素晴らしい松江がみんなに知られていないのです。


・・・こどもだけではない
おとなが
この豊かでとてつもなく深い文化
日本の神話の三分の二を占める
地域の価値を感じていない!!!なんておかしいですよね

178.png168.png第二次大戦後、日本神話について語ることを禁じたGHQは、
・・・出雲の地では大成功を収めたといえるでしょう。

177.pngでも、この「田和山サポートクラブ」や
「コラージュ ド しまね」
のような住民自らの

先輩たちの

自主的な文化運動が、
おとなの文化度を高めてきたのです!

181.png175.pngこの田和山は「お山」として
山自体が 長らく乃木神社の 遥拝の対象であるとも
言われています。

・・・午後六時半
4時からの研修に次ぐ論議はまだ続きましたが

「次なる
島根の文化運動の主役は誰か・・・」

そんな思いで、一足先に「田和山さぽーとくらぶ」を後にしました。
その後の市長と議員懇談会でも、もちろん市長と話をしました。

明日をいい日に

みんなで178.png
私は一足先に


by mai-kitani | 2017-07-07 01:03 | 歴史、遺跡

出雲の国の風土記にも載っていて、
1300年を優に超える歴史ある
「矢田の渡し」

大陸からの
メインロードが
いまだ!
ここに残っています。

しかも動いています。
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その船が、存続の危機?!

ということで、
色々プロジェクトが
動き出そうとしています。

今日は、社⭐️ガール
月例会が
矢田の渡し船を使って
行われました!!

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今日の最初の神社は、多賀神社。
矢田の渡しから
大橋川の中に鳥居のある
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あの神社
を目指して
大橋川を
走る
走るー船。


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多賀神社

着きました。

神無月の由来、
神様方が全国各地から集まられ、

出雲大社の次は、
佐太神社ー明日から神様方のお祭り
お忌さんが始まります。

その後、一部の神様は
この多賀神社には25日に〜〜 万九千神社や
12の神社(詳しくは、山陰中央新報社 編 「神在月」をどうぞ)を色々回られてお帰りになるそうです。
ーーーーーー
この多賀神社の御祭神は6柱。
屋根に六種の人面が。
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こんなところは、
他にないそうです。


ここは
どうやら戦いの神様

矢守 というお守りが
あったそうです。
第二次大戦で生き残った兵士の方が
このおかげで生き残ったとしか思えないと
日記に書いておられたそうです。

大戦後、アメリカの占領軍が、関連の一切を禁止し
撤収してしまったそうです。

まだ何も返ってきていません。

戦後はまだ終わっていません。
実は修正さえもされていないのです。

ーーーー
魚見塚古墳
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先日見つかった、古代の官道あと。
宮司さんの説明。
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思うのですが、
戦後70年経って、
いま、私たちは、

日本の原点を探し
また語り伝えようとしています。

私が行なっていることも、

多くのグループができてきたことも、

これらは
必然で

次なる時代や日本の神々の
要請なのかもしれないとさえ
思う時があります。

不思議なことが
多いのですよね。
・・・・・・・・・・・・・・・

さてさて、再び乗船。
大海崎へ。


大海崎のりんごんさん
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十二所神社
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12柱の古代の神々
古事記の最初のほうに出てきます

説明する、河野さん。

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素晴らしい龍の彫り物
如泥作か??

荒神さん

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もう、ここからは
入れないなと思わせる
凄い雰囲気のある所です。

大井の名水
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下を流れているのは汽水。
そのすぐ上に溢れる
名水。

さてさて皆様。
是非、松江へお越しください。

原日本が、無数に残る土地へね。

明日をいい日に

by mai-kitani | 2016-11-19 21:49 | 歴史、遺跡

暑くなりましたね〜!
お元気ですか?

今朝は、
ご存知の
八重垣神社と
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峯寺。
雲南市。といっても
バイパス沿いの
松江市の我が家からは20分。

山道は、行き交うことができない細道
〜〜と思っていましたが
軽自動車が
場所によって
スイスイと
行き交うのには
びっくり。
さすが地元の方々。

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八重垣神社も峯寺も、
出雲国神仏霊場の1つです。

峯寺は、
658年、役行者によって開かれ
後に弘法大師が
道場を開かれました。
一時は、42坊があったと
言われています。
チベットの高僧と
ご縁の深いお寺です。

出雲国神仏霊場の20社寺は
観光客の方々ならば
車で4日あれば
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何とか回れるかもしれません。
可能性としては。

お回りになることをお勧めします!!
ーーーーーー

それにしても
暑いです。
松江は風は吹きますが
宍道ーしんじーのパーキングエリアで
熱いお蕎麦を頂いたので、
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汗が目に入ります。

こういう時は、
10月にある
姉妹都市ニューオリンズ記念の
リトルマルディグラの日本手ぬぐいが
役に立ちます!!
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さりげなく宣伝中。笑
ーーー!

さてさて、今日は
一時からは、日本最古の硯が出土した
田和山遺跡の、
史跡指定15周年記念講演が
スティックビルで。

2時からは、松江市歴史講座

3時からは、カラコロ工房で
スクールマリコ

そして愛宕神社ではお祭り。
明日は、天神祭。と、

熱い暑い 松江市です。

明日をいい日に!!






by mai-kitani | 2016-07-23 12:26 | 歴史、遺跡

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大山(だいせん) 大神山神社の奥宮

麓の博労座 で、松明行列最後に
松明を燃やす場所



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自然石の石畳は、傾斜があるので
降りるときは、とても滑ります。

ほとんどの方が、
登山スタイルです。

むべなるかな。

ー当然です。

奥宮の神事です。

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松明行列。


踵のある靴で
雨合羽もなく
そんな人は殆ど居ませんでしたが
ーー
なぜか!
雨の松明行列に参加できました!!

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今日がその日と、
最初から知っていれば
きっと行かなかったけれど

なぜか
知らないうちに
行くことになり

来なさいと言われたのかも。

後で思うと
実際この日を境に
少し体調が良くなったかな。

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トリッピーと、
へとへと記念撮影。笑


大山は国立公園の周年行事。
ー!ということは、 松江市も!
隠岐も!!
です。

大山隠岐国立公園ですからね〜
あれ、何もしてないのでは?

ーーー
大山の夏山開きの
松明行列。

見ると聞くとは大違い。
泊まる人も多いようです。

ぜひあなたも一度、ご体験を。


明日をいい日に

by mai-kitani | 2016-06-08 14:38 | 歴史、遺跡

こんにちは!
さてさて、5月3日は佐太神社の直会祭です。

この神社は出雲地方東部、元出雲大社のあるところ松江市の
北に位置します

日本の「ぜんざい」の発祥の地です
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神在月の時に(全国では神無月)
佐太神社で神様に振る舞われたお餅
神在餅(じんざいもち)

京都で
ぜんざいと言われるようになったそうです
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だんだん家の、とても美味しい
すましぜんざい。

そして


古来、神在の社(かみありのやしろ)
と言われた

佐太神社では

お祭りが上記のように
沢山あります


5月3日には
直会祭
全国から信者さんが来られ

そして岸禰宜による
悪斬り祈祷

刀が座っている自分の前後左右と
両脇空間を切る大迫力の元
行われます

刀を持って舞うだけと思っていた妹が
悪切り祈祷を受けて
本当にただただ驚愕していました!!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



またここは、
相撲の発祥の地

行司の発祥の地でもあり

宿禰が京都に
ここから相撲取りを
初めて連れて行ったのです

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そして

元出雲大社のあるところ、松江市と
旧鹿島町が合併したのも
ご縁ではあります




重要文化財の3つの本殿

それを直しているところではありますが
その後ろの山が少し崩れてきているそうで
応急措置中

これも、なんとかならないでしょうか


まずは明日をいい日に!






by mai-kitani | 2016-05-04 13:32 | 歴史、遺跡

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市役所で、歴史まちづくり部から
清光院下の話を聞いていました。
どういうものであれば、補助ができるか
です。
かなり少なくしてありますね


さて
外中原の家の近くの月照寺ですが
なかなか、ゆっくり伺うこともなく。

風流の師と勝手に仰いでいる
井上さんの一言を思い出し

「貴谷邸のかっての塀は
栗の柱の板戸の〜
どうしてあれをやめたんだ?」

えー?少なくとも
40年より前のことです。
つまり私が松江にくる前のこと。
修理したのは
亡き義父。

「以前はどんな感じでした?」

「数奇屋造りの京都の大工さんの
HPに少し似ているのが載っていたよ」

えー?どれでしょう?
これ?どんなところが似てますか?

栗のカンナ拵えの柱??

「ちょっと、月照寺の奥の門に似てるかなぁ」

そうか、月照寺ね。
建築の視座から
月照寺を眺めたことは
ありませんでした。

神社をよくアップしてますが
母方は、確かに神道。
隠岐の横やの出。

でも実は仏教徒です。
月照寺にね、行かねば。

〜〜
月照寺

月照寺とは、
松江松平藩主の、菩提寺です。

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おお、これは
なんと素晴らしい。
松江藩主は、松平家の流れであります。

堀尾吉晴が松江城を作り
京極忠高が、治水し
みんなお子様がなく

越前松平氏直政がやってきて
親藩となりました。

北陸と松江は
神代の昔から
繋がりがありますね

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各廟の門は、
その時代の粋を集めた
素晴らしい出来栄えです。

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時代によって
趣も
違いますが
どれも見事なものです。
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松平不昧公は、
松平治郷と言い、
茶人として有名です。

松平不昧公の分類から、大名物、名物、中興名物 その他〜〜と言うのを
分けられるようになった、
つまり日本全国の茶器を分類できるほど
茶器に詳しかったし
自らもコレクターだったのですね。

この方の書や陶器を
田部美術館でも見られます

小林如泥


お抱え木工家の
小林如泥の作と言われる
門や〜勿論、如泥は
不昧公より4年ほど前に
亡くなりましたが
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稀代の風流人、松平不昧公が
随分前から廟もきめていたので
名工如泥に作らせなかったはずが
ありません
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この木目を波に見立てて
浪の花を飛ばし、それをここへ持ってくるのは
何かどう考えても、如泥の凝り方。
(と、私のような素人が勝手に言って申し訳ないのですがお許しを)
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松江には、如泥作のものが
数多くあります。

白潟のお神輿ー今は担がずに
祀ってありますー
精緻で美しい!

白潟天満宮、
などなど。

こういうものを
旅で巡るのも
楽しいのではないでしょうか?


月照寺のお庭

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なるほど、
井上さんの言う通り。


昭和の初めに作られた
うちの庭ですが、なるほど
月照寺を参考にしてると思います。

月照寺の直ぐ側に
別荘を立てるとしたら
近代の名日本画家、小村大雲氏が

月照寺を意識しない訳はない。


あの橋は、あれか。
あの池と紅葉は〜〜等々

膝を打つことしきりでありました。
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勿論、
庶民は
意識する程度のものですがね。
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さてさて

宝物殿


お抹茶を頂き、
お庭を眺めて
観光のことを聞き
定期観光バスがあるといいなと
考えて
さあ、帰ろうとすると

「宝物殿も是非」

と言って頂き、行ったのですが

本当に驚きました!!



お寺の宝物殿には

不昧公、吉晴公関係のものが
沢山!

ありました。
堀尾吉晴公の従位記もありましたし

不昧公の弟さんの
俳句の本もありましたが
あれは、直ぐに手を入れないと
いけませんね

明治維新に松平家が
版籍奉還で
藩主の荷を解かれ

知事に任命された
そんな資料もありました。
びっくりです。

愛宕山から湧き出でる水は
不昧公お好みの
お茶用の水だったのですね。

山も大事ですね
ーーー

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皆様も是非に
小林如泥や、不昧公のことを考えて
松江の
月照寺に行ってみてくださいね。

明日もいい日に



by mai-kitani | 2015-09-07 22:04 | 歴史、遺跡

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松江市島根町野波

日本海です。

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野波の日御碕神社
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本殿に拝殿が繋がって
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拝殿の入り口は左側。
出雲風は、
手前の破風側に入り口を
持ってきます。

出雲風と
伊勢風の

合体ですね。

ーーー
野波にやってきました。
先日の台風の突風でやられた
板塀と裏木戸のことで。

柱が角になりそうとのことで、
それはこまると
大工さんのところへ。

待ち合わせは
野波の日御碕神社。

島根町は、
松江市と
合併する以前に
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それぞれの集落のところに
名前を書いた碑を建てています。

野波は、野波。
沖泊は、沖泊。

ですが、地名から、今はそれが消えて
沖泊は、島根町多古〜〜番地です。

これ、沖泊とか
野波と言った土地名をやはり
残すべきではないかと
思います。

それぞれの集落の文化がありますから。

〜〜そういえば、
先日、どなたかが、

「松江市はけしからん。

白潟小学校では120年からの歴史が
あったのに、
朝日小学校と合併する時
無機質な

中央小学校

という名前にした。
歴史も誇りも
伝統も、ネーミングセンスもない。

せめて
白潟朝日小学校とでもしたら
よかったのに!」



大変お怒りでした。

確かに、名前やはり地名について、
昨今のーここ20年ぐらいのー
松江市は、まことに無頓着
だったと思います。
私も審議会で携わっていましたから。
候補名が、まことに無機質な
ものでした。

これは、考え直すべきでは?
その方が
旅の趣も、ぐっと深まるはず。


明日をいい日に


by mai-kitani | 2015-09-06 15:19 | 歴史、遺跡

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おはようございます。

今日の松江は、雨がしっかり
降っています。

今日予定されていた
稲刈りや、体育祭は
延期のようです。

先ほど、城西公民館の
広報車も走ってお伝えに。
朝早くから、ご苦労様です。

また、朝の素敵なイベント、注目の
morning party
そして、上竹矢の
泥んこバレー大会も、
中止の連絡がありました。

雨の音、水の流れる音を
体に染み込ませながら

今日の仕事をしたいと思います。

ーーーー
関ゼミ
昨日の夜は、
東京から来られた
歴史学者の関先生を囲んで
関ゼミ。でしたね。

神社のこと、神話のこと
汐汲みのこと、
四十二浦巡りのこと。
島根半島のこと。

出雲王朝はあった
怨嗟の話として、
また出雲王朝を否定した梅原猛さんは、
出雲王朝はなかったと
日本人論全盛の時に
日本全国を回って言われた。

今になって、
「あれは
間違いだった
出雲王朝はあった」


懺悔されたが、
地域としては取り返しがつかない。

40年間にわたり、
それが信じられてきたのだから〜〜

というようなことを話し合ったり

また、それに関先生が
梅原猛さんは
歴史学者ではなく
哲学者だから
それでいいのだ
ーー本当にいいという意味ではなく
哲学者としての試行錯誤
という点ではあり得るのだ

等々という話も出ました。

資料の取り扱い、ということ
信憑性の担保ということにも
触れながらね。
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出雲国風土記が完本ーほぼーで
唯一残っていること
古事記の神話の多くが
出雲神話であること

古事記には
取り上げられていない
国づくりの話が
出雲国風土記には
書かれていること

その大陸との関係性

それ以前の資料の出土

古事記以前の土地名と思われること

ーーー
地域教育の欠落
島根県が
これほど遺跡の宝庫で
伝承、説話のみならず資料まであるのに
研究者が少なかったのは
何故だろう

第二次大戦後、
神話が禁止されたこと
神話と言われるものそのものが
残っている地域の歴史だからこそ

社会の先生たちが
地域の歴史を
話せなくまた、話さなくなったこと

研究もできなくなったのだと
いうことも言われました。


そういったことが
古事記1300年で
ようやく言えるようになったのかもと
思います


関先生の研究は
それ以前からでしたが

ーーー
結局、資料主義をも凌駕した
銅剣や銅矛、銅鐸が全国で
それ以前に全国で出土した以上の銅剣(全国計300本)が
銅剣(358本 荒神谷遺跡)一斉に出てきました
銅鐸と銅矛も見つかってます

またそこから3kmの加茂岩倉遺跡から
(銅鐸総数は39個 1ヵ所からの出土としては全国最多)
やはり一度に一斉に
出てきたことで
歴史はくつがえりました

(「青銅器の出土品がないから出雲王朝はなかった」と言われていた)

神々の庫があると言われてきたこと
やはり伝承というものは
すごいなとも思います。

ーーーー
そして都も永遠ではない
まだまだ降る
秋の雨の軌跡を眺めながら
この地の良さを感じています。

東京とは対極。
されど、都は必ず移る


奈良も京都も東京も

それ以前の神々の国の首都、松江

かってそうであったのだから。

というのが
歴史的事実です。

だから東京も永遠ではありません
東京の価値観は、絶対ではありません。
政治もね。
悠久の地にいて考えれば

何かひとの営みが
とても小さく見えます




明日をいい日に





by mai-kitani | 2015-09-06 07:43 | 歴史、遺跡

2015.8.31 武内神社まつり 
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・・・・・・・・・・・・
2015年8月31日



あいにくの大雨ではありましたが
武内神社のお祭りはいつものように
にぎやかでした。
広い境内いっぱいの屋台。
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女性としては、初めて
角洋子さんがこの装束でおつとめになるのでは?
氏子のお勤めの皆様
かっこいいです




雨もあって、
でもバスを待つ善男善女は
ながらくの時間を佇みながら

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・・・昔は、9月1日が始業式と決まって
「はやく夏休みの宿題を済ませないと、
たけうっつぁんに連れてかないよ」
と親に言われて
必死に長期休暇の課題に取り組んだ
ものでしたが

いまや
もう2学期は始まっています・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
9月1日

さて
日にちが回って

始まりました

午前4時

「たけうっつぁん」 松江市の武内神社の大祭は
ひとつのクライマックスを迎えていました。

昼間の喧騒とは打って変わって
屋台もすっかり片付けられ
神事と
神様の ご神幸の行列が始まります
御旅所までの短い旅です
・・・・・

儀式が始まる
名前の呼び出しに
「おう」と答えながら
お供の方々
崇敬者の方々
供奉のこどもたちの神妙な顔

大雨に裾をからげることも
しないで
粛々とお祭りは始まります

・・・・・・・・・・・・
氏子総代さんたちや
各協賛会の 代表の方々の
紋付の黒羽織、

ろうそくをともした提灯で

・・・・

継承の仕掛け
総代さんたちも若い人へと
代替わりをされました
若い堂々とした総代さんたちと

先輩方もやはり黒羽織でお世話にでられ

昼間の境内のおつとめは3時間交代

雨の中、黒羽織に袴は、
見えませんが多分もう
乾いているところもないでしょう

・・・・・・
子どもさんたちもずぶ濡れ
ただ次の祭りを引き継ぐ使命を持って
緊張した面持ちです
松明やお祭りの道具を
それぞれ責任を持って捧げ持ちます

こどもたちの配置
威厳あるおじいちゃんたちの黒羽織
優しく厳しくさしかけられる傘

一番育てるのが上手な方々かもしれません
・・・・・・
ひととき真っ暗に
神様が
御旅所にいかれるために
お乗り物にお移りになるときには

境内が真っ暗になり

真の闇
携帯の明かりも許されません

そのうち
提灯がお足元を照らし出し
なんともいえない風情を醸し出していました。


行列が御旅所へ
・・・・・・・・・・・・・・・・・
提灯だけで闇を
暗い木々の間
濡れた砂岩の石畳
良質な来待石の
歩く中ですり減って角もまろやかになった
その階段を気をつけて進みます

幾千と打ち震える鈴の音のように
自らの役割を止めない
野の虫たち・・・
にぎやかな音
////////////////////

鈴の音
笛と太鼓はお神楽

ずっと鳴り止むことはありません

ただ祝詞が始まり、
神楽がその間だけ止むと

野や田の、鈴たち(虫たち)は
一層の思いを込めて楽器を打ち鳴らし
その場を清め、祝福するように歌うのです

豊穣の感謝を込めて
・・・・・・・・・・・・・
篝火(かがりび)
御旅所の、かがり火は
ほたるのような火の粉を飛ばし

雨は容赦なく提灯のろうそくを消していきます


篝火の当番の方も
見知った方で・・・・
おや、まいさんと声がかかります
雨の中、暗くて顔が見えなくても
宮司さんが
雨の中、お忙しい中、と声をかけていかれます
・・・・・
午前5時
式が終わって午前5時に近いのですが
今日の朝の色は
まだ薄衣(うすぎぬ)の 
ちらり とも見えていません

ただ、みんなの安堵の顔に
「たけうっつぁんのお祭りは
今年も、無事に始まった」・・・・とわかります。


これから祭りは続きます
多くのお祭りは
本当に農家の方々や
責任を持って身を張って続ける
方々あってこそのものだと
そんな気もしました



・・・・・・・・・
明日をいい日に

by mai-kitani | 2015-09-01 12:33 | 歴史、遺跡

アップの日にちが前後してますが・・・
20日は
午前中は雨でしたが

午後からは心地よい
晴れ

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お誘い頂いていた、
田和山の 野点に
おじゃしました。
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階段を登って
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考古学者の堀先生
お手製の琥珀糖

とお抹茶を頂いて


その後、下のプレハブの
資料館?
で、
田和山の歴史的
考古学的 意義や

その他のお話に
ついつい1時間。
ーーーー

田和山は、
禁足の地として
長らく言われてきました。

乃白神社の遥拝対象です。

田和山は、卑弥呼の描写そのもの
だそうです。


でも、卑弥呼や
光武帝の金印授与よりも

100年以上古く

また、現在の
出土資料としては
最古の硯が
出ています!

少なくともこの頃
には
文字がこの辺りで
使われていたのでしょう。

金印については

「金印は、昔の木簡の包みに
ロウの印のように
粘土で押すように
使われていたとのこと。

すなわち、金印を上げるというのは
文字がしっかり使われていて
国があって

自分たちのお墨付きを
上げても差し支えない

ということなんだ、」

「倭(わ)
わは、私のわ、吾 のわ
我の わ だ。

お前は何者だ、という時に
吾(わ)だ、と答えたに違いない。

そこに倭
どいう字を
当てはめたのは、
今のように
昔から日本人は
おとなしかったのでは

例えば
匈奴 匈どいう字で
表されるところとは 違う」
「孔子も、自分を雇ってくれる人が
いないから、日本に行こうか」
と言っていたほど。

DNAと文化、民族の違い
DNAと民族は違う

考え方も価値観も
言葉も後天的に身につくもの
だから

血が繋がっているから
分かり合える
というのは、間違いだ。


等々、話に花が咲きました。

個人授業を1時間
していただいたと言っても
過言ではありません。
ーーーー
それから
大急ぎで、馬潟納涼祭へ。

馬潟地区は
ホーランエンヤでは、

いの一番
の、
地区です。

5大地の中でも
くじなしで、いつも一番。

祇園祭の長刀鉾のようなもの。

相変わらず
和気藹々
しかも喧々諤々

元気な

赤ちゃんの多い!!
地区です。
楽しかった!です。

でも、介護の負担金について
大変だ!!持たない
という声を聞きました。

そうですね、
農業等第一次産業に
従事してきた方の
年金は少ない。

介護の個人負担が払えません。
子どもさんたちの話とか
いろいろありました。

(25日、馬潟地区に
舟も着岸させて頂くことに。
馬潟は午後1時頃かな。
餅撒きもします。)

今日も明日もいい日に!
by mai-kitani | 2015-07-20 07:13 | 歴史、遺跡